THE KING OF COOL #4 〜EAGLES〜
<Story Telling > |
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1970年代初頭、 ロック・ミュージックは、ひとつの曲り角に来ていた。 “ウッドストック”で頂点を極めた「愛と平和のロックミュージック」、新しい社会的価値観を提言してきた“ロックンロール”、誰もが、その幻想に、少なからず、気づき始めていた。“SUMMER OF LOVE”、“Carifornia Dreaming”、そんな言葉は、すでに死語になりかけていた。 ちょうどそのころ、そんな“カリフォルニアの夢”を追い求めて、3人の若者がLAにやってきた。 グレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナー。3人は、地元生れのバーニー・リードンとともに運良くリンダ・ロンシュタットのバックバンドとしての活動を開始する。 1971年8月、この4人は、自分達だけのバンド結成に成功する。 バンドは、シンプルに“EAGLES”とネーミングされた。 「アフター・ウッドストックに、ロックは何を見出せるか?」彼らの大きなカケが始まった。 70年代前半は、ある意味、60年代理想主義の挫折感と、そこからの再出発を模索していた時代だった。 社会は、表面的な平静を装っていた。しかし、ニクソンはベトナム空爆の続行を決定。どこか、重苦しい空気が漂っていた。 EAGLESは、そんな時代に「気楽に行こう!」と個人個人の価値観の啓蒙を促した。 60年代が集団的アジテーションの時代とすれば、70年代は、個々のアイデンティティの確立が重要な課題になっていたのかもしれない。 EAGLESは、第2作「デスペラード」で、ヒッピー的価値観の虚無性を歌い、現実社会との対峙を呼びかけた。 「オン・ザ・ボーダー」では、自らが追い求めた“カリフォルニアの夢”の暗部と幻想を露呈した。 そして、バンドはアルバム「ワン・ノブ・ディーズ・ナイト」で、一躍、トップ・グループに躍り出る。 地位と名声、そして膨大な富を得たEAGLES、そこに、彼らが見たものは、彼ら自身が実現した“カリフォルニアの夢”とその成功の裏側にあるアメリカの社会意識の矛盾だった。 1975年、「ワン・ノブ・ディーズ・ナイト」の発表とともにオリジナル・メンバーのバーニー・リードンが脱退。ソロとして活躍していたジョー・ウォルシュが新たに加入する。前作から参加したドン・フェルダーともにふたりは、よりソリッドな音をバンドに提供して行く。 そして、1976年12月。建国200年に湧くアメリカで、歴史的名盤「ホテル・カリフォルニア」がリリースされる。 「ここには、1969年以来、スピリットは一切おいていない」というリリックが当時のアメリカ社会のいきずまりを象徴しているこのアルバムは、また、もう一方で、彼ら、そして、我々が抱いてきたカリフォルニア・シックスティーズ幻想の終焉を意味するものに他ならない。 EAGLESは、そのカリフォルニア・シックスティーズ幻想をあえて自ら体験し、その虚無感を我々に教えてくれた。 「ここには、1969年以来、スピリットは一切おいていない」 |
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<Eagle Sayings >
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